年子育児のストレス逃し

育休中、コロナ、年子2人の三拍子揃ってしまい、平時以上に閉鎖的な家庭育児していて頭がおかしくなりそうになっていた頃。

そうだ、両耳で子供の叫び声を聞くからおかしくなるんだ、と思って自分なりに考えたストレス逃しが「片耳イヤホン」だった。

 

片耳でも好きな音楽を聞けば、言い方は悪いが子供の声を聞かなくて済むと思ったのが始まりだったと思う。なぜその考えに至ったか思い出しておこう。

 

 

2年前のいつだか、精神的に限界だった。

上の子が1才を過ぎ夜泣きが終わったと思ったら間髪入れず下の子が生まれて、授乳で24時間気を張っていて母乳は3時間毎対応。本当はミルク混合がしたかったがミルクを作る体力も気力も早々消え失せての母乳。

やっと断乳したと思ったら翌日からこれも3時間毎の夜泣き。

3年間熟睡がなかった。

 

そんななかでも2人が同時にお昼寝をしたタイミング、暇な時間に「そういえば私は何が辛いのか、何が無くなれば幸せなのか」と考えたことがあった。

 

辛いこと。

「自分だけの没頭できる時間がない」

「仮に子どものお昼寝や夜寝た時間などで自由時間があってもそれは終わりが予測できない“時限爆弾”であって余計に気持ちは張り詰める。つまり安心した自由時間がない」

「好きなものが好きな時間に食べられない」

これらが重なって

「私の邪魔をする子どもが可愛いと思えない。いなければいいのに」

とか普通に思っていた。今でもたまにこう思うけれど、当時は毎日思っていたので相当参っていて極限状態だったのかなと思う。

 

じゃあ辛いことを除去するためにどうすれば…と考えるのだけど、未就学の3才未満の子どもが2人しかも年子が家に一日中いたならどれも不可抗力、自力でどうにかできるものではない。

 

ならば、起きてしまう毎日の辛いことを何かしらで「リカバー」するか、「受入れる」か。

リカバーは、事象が起きた後にもどんどん毎日は進んでいくので間に合わない。

受け入れるしかないか。

その受け入れるも100%じゃなくても「ゆるく薄く」でいこうとなった。

 

子供の叫び声、まとわりつく絡み、目を離すとひっきりなしに起こる喧嘩にイタズラ。

 

これらから逃げられないかつ全て受けざるを得ないからイライラするのだ。

少なくとも叫び声や喧嘩の煩さを耳栓感覚でイヤホンすればどうか?ラジオやPodcast番組を聴くとそちらに意識を向けて、なおかつ騒音をシャットアウトする。

 

実際に試してみたところ効果覿面で、明らかに私の爆発?頻度は減った。

同時多発的に子どもの事象が起きて受け止めようとするから頭がパンクするのであって受け止められるだけのことをするべきなのだ。

 

ある意味子供からの要求を一部無視し、喧嘩の仲裁、見て!要求など直ちに対応するべきことのみ向き合っていくことでも十分だと思う。なぜなら私も子供もそれでご機嫌なのだから。

 

限界状態のなかで編み出した自分なりの生き残る術。

夫にイヤホンし過ぎと言われたこともあったが、これがないと私がおかしくなるから。と一蹴した。

現場のことをわかっていない者からの意見ほど無意味で聞ききれ難いものはない。