タニタのクロロゲン酸コーヒー
タニタのクロロゲン酸コーヒー
ハードカバーメモ
2019年から始まった夫のコロナ感染対策
私の同意を得ず「感染対策をするのは当たり前だ」という理論で私や、子供に強制してきた。
①外出から帰ったら家の玄関を開ける前にまずアルコールで「手の消毒」
②外出から帰ったらシャワー(必ず頭も洗うこと)、そして必ず部屋着に着替えること。
③屋内に入ったらシャワー。ただし10分以内の短時間ならシャワーなしでOKとする。
シャワーなしでOKとするが、必ず部屋着に着替えること。
④その外着は触らないようにクローゼットに片付けるか、洗濯機に入れること。当然に外着を触った手を逐一洗うこと。
「外の空気に触れたものは全て汚い」という認識でいる。
さらに
⑤子供を屋内に連れて行かない
これは屋内なのでスーパーはおろか児童館、図書館も行けない。
これが4年間続いたのだ。
仕事をしていない私がはそれらの施設に子どもを連れて行けない、つまり未就学児と行く先が公園または屋外散歩のみである。
辛く、ある種拷問であった。
それが、末っ子が一歳になった秋以降に緩んでいる。
いまだに①②③④はやっているが⑤が明らかになくなってきた。
末っ子が一歳を迎えほぼ全ての予防接種を終えた。風疹麻疹など。
コロナの予防接種もしてあげたかったが夫が激しく反対しできていない。
なんなのか、一体。
これまで私に強制してきた異常な感染対策について詫びることもない。
「室内も連れていこう」とはっきりいうこともない。
少し考察してみようと思う。
幼稚園の先輩ママに「喋って発散したらいいよ」と良く言われていた。
その意味がよくわからなかった。
疲れたら早く寝たらいいし
好きなものを食べる
好きな動画を見る
自由時間がなかなか取れない中でも小刻みに小さな幸せを得てテンションを上げる方法は自分なりに持っているつもりだった。
ここ何日か、仲良くなったママ友達と幼稚園降園後に毎日のようにおしゃべりをしてみて
それも1時間以上子供達が遊ぶのでそれくらい喋ってみて、やっとわかった
心が軽くなった
夫に心無い一言を言われても
私の育児の一部を見て非難、否定されたり断言されたりしても
イライラしないムキにならない
「参考程度」にいただいておく
「そうだね」と受け止めて
1秒でも早くその話から脱する
1秒でも早く夫の目の前から消える、同じ空間から脱出する
これらに集中することができるようになった
週明け、ママ友にお礼を言おう
「人のふり見て我がふり直せ」
「井の中の蛙大海を知らず」
育児をしていて
人の一部を見て責める
決めつける
論じる
ことのいかに愚かなことかと思う
かなり前の話だが、通りかかったスタバに、綺麗な服を着たママがベビーカーでお子さんを連れて、ママ友とお喋りをしていた。
ベビーカーの子はまだ一歳前後ぽくて、ふにゃふにゃと声を出して抱っこしてほしそうな仕草をしていた。
その場面だけを見たら抱っこしてあげたらいいのに、あやしたらいいのに、と思うだろう。
でも、もしかしたら
そのママは朝から晩まで抱っこにお世話に寝不足。夜泣き。家事。
毎日おしゃれもできないでボサボサの髪の毛でクタクタで。
やっとの思い出きたスタバだったかもしれない。
やっとの思いで会えたお友達だったかも。
そりゃおしゃれして。
そんな貴重な時間
やっと座って飲めたあったかいコーヒー
抱っこできる元気、あったのかなあ。て。
そのママだってもちろんあやしたら抱っこしたりできる状態の時はあるに決まってる。
でもその時は難しかった。
一部だけを見て責めること、決めつけることは決してできないなと思う。
今日、私にもそんな場面があった。
夫と私、子供達で公園に行き遊ばせた。
平日は毎日幼稚園降園後、末っ子おんぶで上2人を私1人でみている。正確には、幼稚園のママ仲間とその子どもたちをみんなで見ている。
常時大人が2〜3人はいるだろうか。
私1人だけなら子ども2人が離れて遊ばれると見きれないので見られる範囲に固まっていてもらう。
それが今日は夫がいる。
公園にはママ友がいて、子どもを注意して気を張りながらじゃないおしゃべりができるチャンスだった。
帰宅して夫に言われた一言
「いつもあんなに子どもを見てない(放置)しているのか。今日君の様子(子どもをみていない)をみてゾッとした」
何のために夫がいたのか
私が毎日していることだが
そもそもあなたの子どもですが
言いたいことはたくさんあったが、スルーした。
「いつもはみてるよ。今日はあなたがいたから」と。
著しく想像力が欠如しているのは生まれつきなのだろうから覚めても仕方ないのだろうけど、自分はそうはなりたくない
毎日、一生懸命やっている人を追い詰める、
こんな人間ではいたくないと思う