「人のふり見て我がふり直せ」
「井の中の蛙大海を知らず」
育児をしていて
人の一部を見て責める
決めつける
論じる
ことのいかに愚かなことかと思う
かなり前の話だが、通りかかったスタバに、綺麗な服を着たママがベビーカーでお子さんを連れて、ママ友とお喋りをしていた。
ベビーカーの子はまだ一歳前後ぽくて、ふにゃふにゃと声を出して抱っこしてほしそうな仕草をしていた。
その場面だけを見たら抱っこしてあげたらいいのに、あやしたらいいのに、と思うだろう。
でも、もしかしたら
そのママは朝から晩まで抱っこにお世話に寝不足。夜泣き。家事。
毎日おしゃれもできないでボサボサの髪の毛でクタクタで。
やっとの思い出きたスタバだったかもしれない。
やっとの思いで会えたお友達だったかも。
そりゃおしゃれして。
そんな貴重な時間
やっと座って飲めたあったかいコーヒー
抱っこできる元気、あったのかなあ。て。
そのママだってもちろんあやしたら抱っこしたりできる状態の時はあるに決まってる。
でもその時は難しかった。
一部だけを見て責めること、決めつけることは決してできないなと思う。
今日、私にもそんな場面があった。
夫と私、子供達で公園に行き遊ばせた。
平日は毎日幼稚園降園後、末っ子おんぶで上2人を私1人でみている。正確には、幼稚園のママ仲間とその子どもたちをみんなで見ている。
常時大人が2〜3人はいるだろうか。
私1人だけなら子ども2人が離れて遊ばれると見きれないので見られる範囲に固まっていてもらう。
それが今日は夫がいる。
公園にはママ友がいて、子どもを注意して気を張りながらじゃないおしゃべりができるチャンスだった。
帰宅して夫に言われた一言
「いつもあんなに子どもを見てない(放置)しているのか。今日君の様子(子どもをみていない)をみてゾッとした」
何のために夫がいたのか
私が毎日していることだが
そもそもあなたの子どもですが
言いたいことはたくさんあったが、スルーした。
「いつもはみてるよ。今日はあなたがいたから」と。
著しく想像力が欠如しているのは生まれつきなのだろうから覚めても仕方ないのだろうけど、自分はそうはなりたくない
毎日、一生懸命やっている人を追い詰める、
こんな人間ではいたくないと思う