3.11 あの時のことを思い出しておく

 

今朝明け方、関東地域で地震

北海道でも別の地震があったようでなんだか身の引き締まる思いだった。

 

朝、テレビをつけるとずっと3.11関連の特集番組が流れている。

テレビでは悲惨な被災地の当時の様子や津波の映像が流れるのであまりみない方がいい。直接その地域と深く関係のない自分ですら気が滅入るからだ。

 

今日のような日でもradikoでラジオを聴くと平時とほとんど変わらない番組構成であって安心する。ありがたい。

3.11と言う忘れてはならない日にあえて極力平時の番組構成にして、リスナーの気持ちに寄り添ってくれているのだろうか。

 

映像は少ししんどいのでTBSの震災特番(13時00分〜武田砂鉄さん、荻上チキさん他)を聞くことにした。

 

11年前の今日、パーソナリティーの皆さんが何をしていたか、当時の状況、気持ち、どんな困難があったか、今はどうか、リスナーからのお便りを交えてあたたかい言葉とともに紡いでくれた。

朝、地震があったのもあり少し気持ちが落ち込んでいたが「忘れてはいけない」「他人事ではない」と前向きな気持ちになった。

 

そんな12年前の今日のことを、思い出して書き留めておく。これも忘れないために。

 

当時自分は関西の大学生、ちょうど就活が解禁されて各企業の説明会に赴き忙しくしていたところだった。

 

2011年3月11日 金曜日 14時46分 

大阪梅田のクリスタルタワーの高層階で企業説明会があって、先方の企業説明中に揺れた。

始めは目眩かな?と思ったが違って、ゆらゆらと揺れたので少しだけ会場がざわついた。

それでも少しざわついただけで、予定通りに説明会は終わり解散となった。

 

自宅に戻る帰りの電車の中で事態の大きさに気づく。

当時はスマホではなくガラケーだったので、テレビをワンセグで確認した。

東北地方が地図で示されていて、海岸沿いが真っ赤に染まっているのだ。津波が来るという警報だった。

 

「ただ事ではない」この言葉の通り瞬時に察知した。

遠く離れた関西で、電車の中で、心臓がバクバクしたのを覚えている。

それから携帯のメールに続々とエントリーした会社から臨時のメールが届く。内容は採用活動の当面の停止。

そりゃそうだろうなと思った。

就活はどうなるんだろう、また就職氷河期か、、などと呑気に思ったりして。

 

説明会後すぐに帰路に着いたので帰宅したのは16:30頃だったか。最寄駅からアパートまで道すがら、街の雰囲気に特に変わった様子はなかったように思う。

ワンセグで見たあの海岸が真っ赤な地図が忘れられず、早くテレビで中継を見たい、何が起こっているか知りたいと思って早歩きで帰った記憶がある。

当時はSNSが今ほど国民全員に浸透していなかったな、今なら先ずはTwitterで検索するだろうけど真っ先にテレビだったなと、時代だな、としみじみ思う。

 

一日中いろんなチャンネルの中継を見たけど、なんだか気が滅入ってきて途中で消していつも通り寝た。

翌朝になってもやはり「就活どうなるんだろう」とばかり心配していた。

 

遠い東北で起きた出来事という、どこか他人事の感覚だった。そこから一ヶ月程かけて、そうでもなくなっていったような記憶がある。

 

普段はほとんど忘れてしまっている震災のこと。

年に一度でもこうやって特集をきっかけにでも思い出すことであの頃の気持ちを忘れずにいられる。