触れるコンテンツ全てをリスキリングと捉える

少し前に政府が「育休中のリスキリングを」と宣って批判を受けていた。

この批判が起きた理由としては「育児中にリスキリング」ができる人は「相当条件が揃っている」ことがあるのに、当たり前に誰でもできるかのように軽率に発信したように受け止められたからだろう。

条件。

ぱっと思いつくだけでも「本人の体力、胆力が人並み以上」「子どもが健康」「本人が健康」「多胎児ではない」「睡眠時間が確保できている」「きょうだいの年が離れている」「1人目」「1人は保育園や幼稚園に通っている」「手伝ってくれる知り合いや親族が近くにいる」「アウトソーシングできる経済力がある」

 

実際この条件が揃った人がどれだけいるだのう。

あげだしたらキリがない。

 

ところでリスキリングという言葉に耳馴染みがないので意味を調べてみた。

 

リスキリングとは、「新しいことを学び、新しいスキルを身につけ実践し、そして新しい業務や職業に就くこと」で、主に企業の人材戦略の一環として言われる。

 

だそうだ。

新人研修はじめ社内で行われる各種研修や留学制度なんかはそうだろう。

そりゃ会社で働くのに子どもが一緒なことはほぼないだろうし、勉強する体制が整っているのだから「リスキリング」はできるだろう。むしろ積極的にやるべきだろう。

 

我が社の場合だと、「リスキリング」をしてダイレクトに給与に関わるのは資格手当程度であって、能力アップしたとしてもそれを使って「実績」を上げなければボーナスや基本給が上がることはない。

職についていてもこれなのだから、仮に新たに就職のためにリスキリングとなるとそれなりに高度な資格を前提に考えなければならない。

 

リスキリングをしたとて給与アップや就職に繋がる保証もない。

 

ではリスキリングの意味はないのかと思うと暗い気持ちになる。

 

育休中の身である自分は「リスキリングができる条件」が揃っていないので前述の高度な学習は難しい。

でも、普段触れているラジオやPodcastから得られる情報は最先端で新しく、これらを常に聴いていると凝り固まった価値観になりにくいうえに知らないことを知る事ができて勉強にもなる。

 

いつか余裕ができたら、余裕を作れたら、そんな時が私にもくると思って先ずは耳から得られる情報も「リスキリング(学習)のコンテンツ」だと思ってもいいんじゃないか。

 

「現状維持は退化」

好きな言葉だ。

少なくとも私は昨日の私よりも新しい情報を得て、学習し、現状維持はしていない。

ぼんやり何も考えず生きてないな、私は今日も成長したな。と思える。なら今はそれでいいじゃないか。