2023.6.11 実父の9回目の命日

2014年6月11日

9年前の6月11日、父親が末期がんで亡くなった。

 

社会人3年目だった。

「あっという間だなぁ」なんて感想は、もっと歳を取れば思うのだろうか。

今はそうは思わない。

 

別に喪失感が、とか、寂しいとか無くて父親は亡くなってもう居ない。ただそれだけで、父親を思い出して泣いちゃう!とかも無し。

我ながらさっぱりした人間だと思う笑

 

何故そう思うかと考えてみたら、父親に対して未練的な「もっとこうしてあげたかった」「もっと時間があれば本人にとって私にとっていい時間を過ごせたんじゃないか」とかが一切ないからではないかと思う。

 

父はいわゆる末期がんだった。

胃が痛くて我慢できなくて受診したら余命4ヶ月。

もともと膵臓だか肝臓だか腎臓だか忘れたが、そもそも各臓器に転移しすぎていて手の施しようがなかったらしい。

それならそれで諦めがつくと言うものだ。

 

本人は若い頃からがん宣告される54歳まで酒タバコ不摂生。「そりゃそうなるわな」と言った感じで受け入れていたらしい。

 

私が母親から「お父さん末期がんだって」と教えられた時も同じ感想。笑

まぁお父さんの生活態度でずっと元気の方がおかしいし、好き勝手楽しく毎日過ごして余命数ヶ月。これそこピンピンコロリ。最高じゃん!

 

それからは飛行機で東京と田舎を行き来する週末を何回かして、うち一回は父親と焼肉に行ったり(父は食べなかったけど)、東京に招待して観光したり。

東京に招待した翌月に亡くなった。

父は自分でホスピスを予約、さらに自分で車を運転してホスピスに入院したらしい。

遺影も自分で撮ってきて「これでよろしく」とか。

父、面白い。

 

私としてはそんなにめちゃくちゃ仲良し親子じゃなかったけど、最期にいくつか思い出が作れただけで超ハッピー、悔い無し。

私もこんな最後がいいなぁ、人間、太く短く、楽しく生きてコロッと死ぬのもいいなぁ、なんて思う。

体が不自由になって細々生きるとか、認知症になって人の世話になるとかも嫌。

何故生きるかなんて誰にも答えはないけど、私の場合、それだと毎日楽しくないなと思いながら生きていそうだから。

 

今でも父の死に方が大好き。

私の目標。