おべんとうの時間がきらいだった

私は図書館に行ってその場で本を選んで借りてくる、ということがない。

子どもが産まれる前は、またはコロナ禍になる前、子どもが一人だけの時は暇つぶしに図書館にぶらっと行き借りたりはたまた今日はいいか、と借りなかったり、パラパラと立ち読みしたりしていた。

しかし今は感染予防的にも時間的余裕的にもそれは難しく、基本的に区の図書館のサイトにログインして「予約」、夫が図書館に行くついでにピックアップしてもらう、だ。

 

リアルで本棚の前に立って、思いもしなかったジャンルの本を見つける「出会い」もあるが、それは実はオンラインでもある。

そうして検索していて「たまたま」出会った本

「おべんとうの時間がきらいだった」。

 

「サラメシ」や「翼の王国」でお馴染みのフォトグラファー阿部了さんのパートナーの阿部直美さん。

 

あんなにエネルギー漲る元気いっぱいのお弁当の写真を撮る夫と長年二人三脚、ライターをされてる方なんだからさぞ底抜けに明るくて、幸せで楽しい幼少期を過ごして育ったんだろうな、と勝手に想像していた。

どちらかというと幸せで楽しくて人を疑うことを知らない幸せいっぱいな家庭育ちは阿部了さんのほうで、直美さんは全くの正反対の境遇と言っても過言ではない。

 

冒頭、そりゃ学校でのお弁当の時間が嫌いになるよな、と思うトンデモな内容のお弁当を母親が持たせるエピソードがある。

どれだけ「このお弁当はやめて、嫌だから」と嫌な理由と共に何度母親に訴えても改善はしてくれない。

母親の論理ではそのお弁当の内容に嫌がるような理由がないから問題ないのだ。

 

いつも疲れていて、不機嫌で、家事が下手。

子どもから見るとそんな風に見える母だから美味しそうなお弁当を持ってくる友人の家庭やその母が羨ましかった、と。

もし自分が同じ境遇なら同感だろうなと。

 

私自身は共働きの両親、家で専業主婦をしてくれた祖母に育てられた。

専業主婦なんだから家事育児完璧にできて当然、なんて神話はどこの家庭の話だろうと思うほどに、例に漏れず私の祖母も家事が完璧でなかった。

 

部屋の隅は埃ぽかったしシーツは汚れたら洗うスタンス。

祖母の「たらこパスタ」といえば茹でたスパゲッティにキューピーのたらこパスタソースを絡めたものだし、「酢豚」と言えば酢豚の素を余り野菜に絡めたもの。

大学生になるまでどちらもそんなソース類を使わなくても出来ることを知らなかった、というのは今でも姉と会えば笑い話になるネタ。

 

テキトーだなぁとも当時は思っていなかったが、今思えば完璧にしている感じではない。

 

だが、子供を3人もってみてほぼワンオペ育児をしてみてやっとわかった。

直美さんお家は父親が家事育児に参加することもない、つまり母親ひとりで全てのことができるわけもないのだ。

そりゃ疲れて不機嫌にもなるし子供の要望に全て応えられるわけもない。変化に対応するだけで追加のカロリーが必要なのだからエネルギーをかけたくない。

 

私の祖母もだ。

幼い私と姉を週末以外ずっと面倒見てくれた。

実の母といえば週末ですらまともに家事育児していた記憶がない(母の休日は平日の仕事で疲れて遅くまで寝るか、思いつきで私たち姉妹を遊びに連れて行っていた記憶)。

 

特に親近感があったのは直美さんの父親が最期すい臓がんと診断されて「余命3ヶ月」のところ3週間ほどで亡くなったところ。

私の父も胃がんだかすい臓がんだか(見つかった時は転移しすぎていてどうしようもなかった)、余命4ヶ月と言われて2ヶ月で亡くなったという所。

私の父は「最期はホスピスの個室で優雅に」、本人の希望通り逝った、はず。

色々あって死に目には会えていないけど。

 

家庭の環境が嫌で19才で実家を出たところ(私は家が嫌よりも田舎が嫌だったことの方が大きいが)も同じ。

 

一冊の本が書けるほどに幼少期の記憶は辛いものが多かったということだ。

こうして人の人生を垣間見て自分の記憶が蘇る。

記憶を思い出す経験がしたくて、最近は積極的にこういったエッセイに触れるようにしている。

 

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